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期待が現実のものとなれば、現実、すなわち、支出を拡大するという行動は継続する。 マネーサプライの劇的な上昇にくらべ、ルーズベルト政権での政府支出の増大はわずかなものだった。
GNPが急拡大したために、政府支出の対GNP比は低下さえしているのである(このことを確認していただきたい)。 それを真実と受けとめたからである。
もちろん、覚悟だけでマネーサプライが伸びたわけではない。 金本位制からの離脱によって、ハイパワードマネーはいくらでも増加させることができるようになった。
さらに、金本位制に固執し、デフレを阻止することに失敗してきた連邦準備制度理事会議長のYが辞任し、後任にアトランタ連邦準備銀行のY任命されたこと価下落の程度の小さい国は生産の落ち込みが小さく、物価の回復が順調な国では大恐慌からの生産の拡大が急速だったことがわかる。 世界的に見て、日本の生産の落ち込みが小さく、かつ、回復が大きいこと、ドイツの生産の落ち込みが大きく、回復も大きいこと、フランスの生産の落ち込みは平均的だが、ほとんど回復しなかったこと、アメリカの生産の低下が大きく、回復は平均的なものにすぎなかったことがわかる。

ドイツは、ヒトラーが政権を掌握するとともに急激な回復を見せたが、フランスでは左右の政治的混乱とともに経済が停滞していた。 これは、第二次世界大戦でのドイツのフランスに対する電撃的な勝利(ドイツはフランス、ベルギーと開戦後、わずか1月余でパリを陥落させた)の遠因である(後述)。
金本位制に対する態度とデフレーションの関係を示したものである。 金本位制から早期に離脱した国ほど卸売物価の回復が早く、生産の回復も早くなっている。
フランスは金本位制に固執し、ドイツに屈辱的な敗北を喫した。 日本の場合、特に金本位制からの離脱後、マネーサプライが急激に回復し、実質GNPも急増している。
日本では、名目GNPの落ち込みは大きかったが、実質GNPの落ち込みは小さかった。 これについては、実質GDPの推計に用いられた物価デフレータが過小推計ではないかという説もあるので、現実の実質GNPを実質と名目のあいだと考えたほうがよいかもしれない。
そう考えると、その動きはマネーサプライの動きと同じである。 物価の下落によって実質利子率は20%近くまで上昇しており、これが不況を深めたことがわかる。
政府日本は30年代の大不況をもっとも小さな犠牲で切り抜けた国であるのに、90年代から続く大停滞では、この教訓を生かせていないのは残念である。 大恐慌はなぜ長期間続いたのか。
多くの人びとがもっているアメリカの大恐慌のイメージは、29年末から41年以降の戦争経済に突入するまでの、長く苦しい10年以上の期間である。 今日でも、大恐慌は33年の金融政策の大転換では終わらず、大恐慌を終わらせたのは第二次世界大戦であると考えている人が多い。

支出の増大は不況を和らげるのに役立ったが、実質政府支出の対実質GDP比は、31年から33年にかけて1・1%ポイント上昇したにすぎず、大恐慌脱出の主要な要因だったとは考えられない。 銀行貸し出しも26年をピークに減少しており、貸し出しが伸びたのは日本が好況になった36年になってからのことである。
大不況からの生産の回復は急速で、実質GDPは31年から33年にかけて14・9%も上昇した。 これは、日本の大恐慌からの回復が決して構造問題を解決したがゆえになされたものではないことを示している。
2年間で解決できるような構造問題などあるはずがないか。 しかし、事実はまったく異なる。
大恐慌は、29年第44半期から33年第14半期までの3年余しか続かなかった。 アメリカ経済は、33年からは、年率7%にもおよぶ急回復をとげているからだ。
いや、3年というのも誤解がある。 大恐慌が始まったとき、だれもそれを大恐慌だとは思わなかったからだ。
当時のアメリカの多くの大企業は、日本の企業のように、いや、日本の企業以上に雇用を大切にし、31年まで解雇を行わなかった。 31年、Uは操業率が50%以下になったにもかかわらず、94%の雇用を維持していたという。
しかし、ついにアメリカの大企業も耐えきれず、U、Zクといった大企業が大規模な人員整理を行い、他社もいっせいにこれに追随した。 不況は大恐慌になったのである。
31年までは、失業率も10%に上昇したにすぎず、これも戦前の不況ではままあることだった。 31年の前半までは、大恐慌はただのきびしい不況だった。

きびしい不況が大恐慌になったのは、31年の後半以降のことである。 したがって、大恐慌とは、31年の第34半期から、経済が急回復を続ける33年の第14半期までの1年半の期間のことにすぎなかったことになる。
にもかかわらず、多くの人びとの記憶のなかで、大恐慌が長期に続いたと思われているのはなぜだろうか。 それは、失業率の低下に長い時間がかかったからである。
40年まで15%以上の失業率が続いた。 大恐慌時の実質賃金および失業率について、T教授は、アメリカの賃金は29年をピークに32年まで下落したが、その後のニューディール政策下におけるNRA(全国産業復興法により産業の行動規約の策定と施行を監督する機関。
労働時間の制限による雇用拡大や、賃金の上昇による労働量の削減を企図した)や、ワーグナー法(全国労働関係法労働組合の保護育成、労使対等の交渉力の付与を目的とし、そのため労働3権を確認し、不当労働行為を禁じ、全国労働関係委員会を設置した)などにより、賃金が急上昇したことが失業を持続させる要因になったとしている。 実質賃金は25年から29年まで上昇したあと、19年を100とすると、22年には86まで下落している。
その後は37年まで上昇し、38年にいったん下落したが、39年には再び上昇に向かった。 失業率は、24年から29年にかけて5%以下で推移していたが、30年以降、急激に上ように4%程度にまで低下していたら、38年のアメリカの実質GNPは20%(失業率4%時の就業人口96%、実際の就業人口80%)も大きかったことになる。
失業率の高止まりをもたらした原因はなぜだろうか。 もし失業率がそれ以前のアメリカ経済の考えてみると、労働市場の硬直化、銀行と証券業の分離や銀行の支店開設の極端な制限などアメリカ式の金融護送船団体制の確立、運輸、通信、電力などへの規制強化はニューディールの結果である。
そして、70年代末期からのアメリカの規制撤廃の歴史は、ニューディールによってつくられたシステムを覆すものだったのである。 今日の日本の経済改革を議論するなかに、ニューディールを参照しようという論調があるが、日本に必要なのが規制撤廃であるという議論に賛同しているのであれば、ニューディールを参照するのは筋ちがいである。

その結果、上昇しはじめ、33年には24・9%に達した。 さらに、その後も、第二次世界大戦の直前まで高水準で推移した。
33年を底に実質GNPが急回復したにもかかわらず、大恐慌が長く続いたというイメージをもたれている背景としては、この持続的な高失業率がある。

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